しん ぎょう ぜん しょう りん けん
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日本古伝少林拳の発祥
     
   【少林拳の始祖大智禅師】


正和三年(1312)25歳の時に中国に渡り、嵩山少林寺で約12年間の修行を重ねた

永平寺道元禅師より第六祖
【大智禅師】は帰朝後当時九州きっての

豪族であった
菊地一族の武時公より深い帰依を受け、武時公の力により肥後の玉名に

廣福寺を開山され、一族の禅導に努めたと伝えられている。

 時は戦乱激動の南北朝時代・大智禅師は静寂の地に禅道場を開くことを希望し延元

三年
(1338)十三代武重公がこれに応えて聖護寺を寄進したとされる・大智禅師の嵩山

少林寺での修行は特に棍法
(棒術)に優れていたといわれているが聖護寺では禅法を授ける

と共に、菊地の軍勢には少林武術の鍛錬を行ったであろうと考えられる。

 武僧の少林武術が世俗の人々に初めて伝えられたのはこれがきっかけであり、後の

日本古伝少林拳の発祥の源ともなっている。

 その後、時代の流れは菊地一族には有利とならず、聖護寺も菊地一族と命運を共にし

大智禅師は肥前高来郡の水月庵に世を捨てこもる事となり、正平二十一年
(1366)12月に亡くなられたと

伝わっている。

 嵩山少林寺には、元の時代に武僧として少林寺で少林拳の修行を行ったという、大智禅師の名が

記録に残されているが、明の時代の太祖「洪武」年間には徳始和尚と云う禅僧が

大智禅師の勧めで嵩山少林寺に二十数年間留学して、仏法と武術を修め、師の「
禅師」をしのび

碑文を創ったものが、現在も嵩山少林寺に残っている。

しん ぎょう ぜん しょう りん けん えん かく
沿
    
   【日本古伝 690年の由来】

 代々の野僧に嗣がれて来た日本古伝の少林拳は、

不動禅少林寺拳法の名称で、31代西雲天光和尚より

種川臥龍師に嗣がれ、32代にわたり連綿と伝承

されて来た。

 その臥龍師の弟子として、長年師事して来た現在の

心行巍禅少林拳連盟総帥・久永龍熙管長は、理念上における臥龍師との確執により不動禅少林寺拳法を

去り、1987年11月≪近代に適応した・深遠で高大なる禅の少林拳≫の理想実現を目指し

【心行巍禅少林拳連盟】
を設立した経緯をもつ武道団体である。

 現在、関東周辺を主に活動する組織団体で名称登録・商標許諾を取得・連盟総務局を本部として

教導部に於いては指導者専門課程の修了資格を有するプロの教士たちによって、教導活動や奉仕活動が

行われている。

しん ぎょう ぜん しょう りん けん

     【心行巍禅は禅の修養武道】

心行巍禅とは≪釈迦の教えを実行する高大なる禅≫

を意味する。


 曹洞宗・天徳禅院の中島旭明禅師に帰依し、曹洞禅の根本

を学びその教義のもと
座禅を組み・少林武術を修練しながら

(心)と(体)と(技)を鍛える、つまり
≪心身の調和を図る≫

ことが、心行巍禅少林拳の指導理念となっている。

 少林拳が武術である以上、格闘技術が強くなること・上達することを目指すのは

当然のことではあるが、格闘術の強さだけを求め競い合う事は、際限の無い闘いへの

継続を必要とするし、格闘術に秀れた強い者は世の中に無数に存在するから、おのず

から自己の限界も生じる事となる。

 人間が長い人生を生きて行く上で、真に役立つ強さは「心の強さと」「生命力の強さ」にある。

 この理念が≪心行巍禅少林拳の真理≫であり修行の本質でもある。

 技は身に降りかかる災禍を避ける【護身の術】としての修練を目標とすれば良い。

 まずは人間の内面性を重視した修行により、自己を開発し高め、確立することを価値観とし修行する

『修養武道』としての特性を有するのが、≪禅の武道 心行巍禅少林拳≫なのだ。



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